・ザル兄は清廉潔白・高潔・正義・純粋というイメージです。integrityって言葉が似合います。完全無欠。本編でも議論があったけど、その真っ直ぐな正義を貫けるのは、ダイスダーグが陰で手を汚し続けていたからという……
・アカデミーのクレティアンもザルバッグと似たような性格。ザルバッグ将軍のことを熱烈に信奉していて、ベオルブ家とも交流があって、ある日ダイスダーグがバルバネスを毒殺する場面を見てしまい、それをザルバッグに言えず悩む。そこで正義を唱えるためには誰かが手を汚す必要があると知る。
・世の中は綺麗事だけでは片付かないと少年は気づく。王侯貴族の世界は汚れていると気づく。でもクレティアンは元々理想高い性格なので、そんな現実を見ようとしない。直視できない。自分は手を汚したくない。でも権力が欲しい。栄誉が欲しい。だから世俗界に見切りをつけて宗教の世界に入る。
・彼が真っ先に神殿騎士団を志願したのは謙虚な信仰心とイコールではないのです。私の思うクレティアン像は超野心家。だから神殿騎士団に入って直接教皇の膝下で信頼を得て聖界の栄光を得ようと野心に燃えてるのです。
・王より教皇の方が偉いイヴァリース世界において、聖界で出世できれば俗世の人間より上に立つことができるのですよ。信仰を盾にして、自分を失望させた野卑な貴族より一歩でも上に立ちたい、その野心が彼を果てしない高みへ誘うのです。
・でも彼もやがて気づく。教会組織も王家組織と一緒だということに。腐敗した組織。出世のために行われる醜い駆け引き。クレティアンは元々そういう政治事に嫌悪を示すタイプ(尚かつ信仰がある)だと思うので、気づけばかつて見下していた世俗の諸侯たちと同じことをしている自分に嫌悪を募らせる。
・でも一番嫌悪したのは、自分の野心のために信仰を利用したこと。そしてやっと、己を捨てて神に全てを委ねようという真の信仰の姿に立ち戻るのです。ここまでくると隠者の如き悟りと諦念を得ているので、その無我の従順さを教皇が利用してルカヴィに捧げる供物にさせられるという波乱の人生。
「彼女は、彼が修道士になったのは、彼よりも上に立っていることを彼に示そうとした者たちより上に立つためだ、と理解していた。その彼女の理解は正しかった。彼は修道士になると、軍隊に勤務していた当時彼自身にも、他の人々にももっと大切なことと思われていたいっさいのものを、蔑視する態度をとり、彼がかつて羨望の目で見ていた人々を見下すことができるような、新しい高みに立った。しかし、彼の妹ワーレニカが考えていたように、この感情だけが彼をみちびいたのではなかった。彼の内部にはもう一つの、真に宗教的な感情があった。それをワーレニカは知らなかったが、この感情が、誇りと首位渇望の感情とない交ぜになって、彼をみちびいたのだった。彼がこよなく清らかな天使と想像していたメリー(許嫁)への幻滅と、屈辱があまりにも強かったので、彼を絶望へ突き落とした、そして絶望は彼をどこへみちびいたか?神へ、彼の内部で一度も崩れたことのなかった幼少のころの信仰へみちびいたのである。」
トルストイ『神父セルギイ』の一節。私のクレティアンのイメージは全てここに濃縮されてます。信仰と首位渇望の激しいを持った人だと思います。
「彼は、これまでおこなってきたすべてのことにおけると同じように、修道院でも、自分の外面と内面を問わず、最高の完全の域に達することに喜びを見出した。連隊で彼は非の打ちどころのない士官であったばかりか、要求された以上のことをおこなって、完全の枠を広げてゆくような士官であったように、ここでも彼は完全無欠な修道僧になろうと努力した。彼は常に労をいとわず、自己を抑制し、温和なやさしい態度を持し、行為ばかりでなく、考えにおいても清らかさを保ち、ひたすら従順たらんと努めた」
トルストイ続き。クレティアンもこんな人だといいな
posted by 夕凪 at 18:27|
妄想・語り
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